Vol.5_おカネの価値が「無」になる時

私のいる仙台駅の東側に位置するオフィスの周りは元々は駅の裏側ということで、かつては軒下に洗濯物がはためく非常に庶民的な界隈でした。

しかし、数年前JRさんが元社宅の土地を大量開放したため、ゼネコン系の高級マンションが立ち並び、だんだんと高級外車が道を連ねるようになってきました。

それに伴い私が通勤する朝の時間帯に、これまで見ることのなかった方々を目にするようになってきたんです。

年齢はマチマチですが、たいてい短パンにTシャツの若干日焼け、わざわざボロくしたようなキャップにサングラスを合わせ、靴下基本なし、ミネラルウォーターのペットボトルを片手に朝の散歩と洒落込む優雅な感じの方々です。

株やFX、仮想通貨取引など各種トレードで資産額が1億円に到達した人のことを、俗に「億り人(おくりびと)」と呼ぶそうですが、あの中にはそういう人も入っているのかな?いやきっとそうに違いない!羨ましい!(笑)。

確かにおカネには何かよくわからない力があります。本来1万円札も突き詰めれば新聞と同じただの印刷物ですが、びりびりと破ったりとか、バーベキューの火種にしたりとかはなかなか出来ません(by赤瀬川源平)。

それは円とか紙幣とか金貨とか、おカネそのものの力でなく、おカネに憑依している、「なにか他のもの」=「呪術的な力」なんだと思います。

若い頃に読んだ「ベレー帽をはいたサル(失礼)」こと栗本慎一郎著「幻想としての経済」によりますと、貨幣は贈り物や労働などのサービスを受けた側が、その相手との社会的地位にマイナスの変動が生じたとき、それをバランスし、さらに少しだけ上に立ってマウンティングするために贈られるものだそうです(超意訳です)。

私達が受ける商品やサービスで何らかの課題を解決した時、(その埋め合わせに)対価を支払うというのはそういうことだそうです(お祓いでもある、と彼は言ってました)。

それから、まえまえから割と好きなホリエモンこと堀江貴文氏がこんな事を言ってます。

「おカネは信用の代替物に過ぎない」

きっとおカネに憑依している、「呪術的な力」の正体をホリエモンは「信用」という二文字で言い表しているのでしょう。

ホリエモンの言葉も借りると、おカネとは「信用のバランスを埋め合わせ少し上回って安堵するための当座の代替物といえるのかもしれません。

しかし、この当座の代替物「おカネ」には「信用」が取り憑いています。

いつの間にか私達はおカネの利便性に気づきそれが代替物であったことを忘れ、おカネそのものの魔力に魅了されるようになってきました。

まるで、異性に惹かれているうちに、本体そっちのけで下着そのものにしか興味が持てなくなってしまった人(いわゆるフェティシズム)のようじゃありませんか?

私が小3の春、ガラスの牛乳瓶の紙フタを集めるのが流行しました。私は家でとっていた雪印牛乳のフタをせっせと集め、ある友達は明治、またある友達は全酪牛乳(知ってますか?)という具合です。それをメンコのようにして遊び、とったり取られたりするのですが、いつの間にか交換相場(?)が形成されていきました。

例えば、雪印は希少性が低いので全酪と2対1で交換とかそんな具合です。

夏休み後は、帰省先の見たことも聞いたことのない愛知の「名糖牛乳」とか山形の「鈴木牛乳」なんてのを持ち込む友達も出て、この辺は仮想通貨並みの高い相場を形成していき、そのうちメンコ遊びは影を潜め、フタの交換そのものが子どもたちの心をガッツリ掴んでいきます。

しかし秋の気配が漂う頃、突然この牛乳フタバブルは崩壊を迎えます。

そう、フタに取り憑いていた魔力が別のものに憑依したのです。

学校にフタを持ち込む者は激減し、私達の興味はいつの間にかコマ回しに移っていきました。

夏の間、大量の牛乳フタのみっちりした臭気に耐えてきた私も、ある秋の朝、小さな箱に詰め込んだフタを川に捨ててきた事を覚えています(余談ですが昔の日本は工業排水から生ゴミからなにから、要らないものは全部川に捨ていました。「公害」という言葉が使われなくなり日本人がゴミを捨てなくなったのは割と最近のことです)。

もし運を味方につければおカネがかんたんに集まってくる(人もいる)事態になっているとしたら、今現在おカネの価値が「信用」に対してどんどん下がってきている結果である可能性があります。

☆おカネの価値が下がっているのは「モノ」に対してではなく「信用(情報)」に対してであることが歴史上繰り返されたインフレーションとの大きな違いです。

うちにいらっしゃる行員さんも、最近預金ばっかり増えて貸出先がないとボヤいています。

おカネがないない言っている人も、こう言っては大変失礼ですが明治・大正・昭和のように、「食べることにも困っている」というのとは違うでしょう。

6000年以上おカネに憑依していた信用が、少しづつ、いや急激にはがれてきているのではないのでしょうか??まるでわれわれが長い夢から覚めたかのように・・

私はITによる情報の民主化が原因ではないかとにらんでいて、その流れは今後量子コンピュータやAIの進歩で加速していくものと考えています。

超個人的には、今後当面はおカネの残高を増やす時ではなく、それを減らして「信用」そのものの残高(ポジション)を増やす時期だと思っています。

もしかしたら億り人の皆さんは、強豪サッカーチーム相手の試合のように、ボールを持たされているのかもしれませんよ。

☆ちなみによく「僕は足フェチ」とかいいますが、精神医学的な意味でのフェティシズムとは生命のない対象物(フェティッシュ英: fetish)に対する強烈で異常な性衝動のことを言いまして、人体の一部に対する嗜好のことではありません。さらに民俗学的にはまた別の意味があります。