中小企業にもCXO(最高〇〇責任者)が必要なわけ 「オーナー社長の分身 完コピ不能説」

中小企業にの社長さんからいただく名刺にたまに「代表取締役CEO」と書かれていることがあります。

いうまでもなくCEOはチーフ・エクゼクティブ・オフィサーの略で「最高経営責任者」

中堅企業の社長はオーナーであることが多いので、

「全責任は私が負う!電柱が高いのも 郵便ポストが赤いのも全部CEOのせい!!」

その気概を示すためには、なかなか良い名乗りだと思います。

(中には、ただの新しもの好きの方もいらっしゃるかもしれませんが。)

そんな名刺をいただいたとき、いつも心の中でたずねているのは、

「ちなみにCFO(最高財務責任者)はいらっしゃるのですか?COO(最高執行責任者)やCMO(最高マーケティング責任者)、ClO(最高情報責任者)は?」

「そんなもん 全部わしじゃい(怒)!」という答えがほぼ確実に返ってきそうなので声に出してみたことはありませんけどね。

オーナー社長は、会社のすべてをひとりで決めることが出来ます。

なんつったって社内にオーナー社長に逆らえる人はいませんからね。

でも、これは裏側から見ると「社長が何でも全て決めなければいけない」ということ。

私もそうですが、人は「何でも得意」ということはありません。

必ず「ここは苦手 出来たらやりたくない」という分野があるはずです。

しかしながら創業社長であれ、後継社長であれオーナー社長というのはなかなか弱みを見せることが出来ません。

なので苦手な経営項目も「やらなきゃない」、と思って取り組むものですから、結果人並みには出来てしまったりもします(人並みじゃダメなんですけど)。

たとえ結果、人並みに出来なくても、従う社員は前述の通りなんにも言えませんので(もし言ったら大変ですから)おめでたいことに自ら「出来ている」と思い込んでしまったりするケースもあります(私自身にも心当たりがあります)。

またそこは俯瞰して見れている謙虚で客観的なオーナー社長でも、必死に「何でもできる」を演出しているうちにだんだんと、自分をも騙して行くことになります。

そんなこんなで中身はそれぞれ違っても、いつの間にかハンマーで叩いても壊れないカッチカチの「万能感チョコ」でコーティングされた、「香ばしい」中小企業のオーナー社長がバリバリと量産され、バリバリと付加価値の低い意思決定が下に降りて、ムダの多い永遠に成長しない中小企業が量産されていくことにより、日本全体が生産性や成長性を失っているような気がしてなりません。

そして、この「万能強迫観念」が中小オーナー社長を孤独に追い込み、コロナ禍の現在、社長同士で集まって愚痴を言い合ったり、スナックやクラブで拍手されながらカラオケを絶唱することもできず、家にあっては理解もされず、家飲みの酒量が増えたり、深夜までNETFLIXを見すぎてしまったり、風変わりな思想信条にハマっていったりする理由なんじゃないかとも思うんです。 

こう考えると「WIN WIN」どころか社長も社員も「LOSE LOSE」ですね。

もしかしたら思い切って会社に社長の分身を1人作ってしまえば、孤独はなくなるかもしれません(そうすすめるコンサルタントも見たことあります)。

しかしその分身はぜったい社長の完コピはできません。

もしできるようでしたら、もっと良い会社に移るか、自分で事業を起こすはずですから。

その縮小コピーみたいな分身に社長はいずれ不満を持つようになりますし、悪意の返報性によって、きっとその人も社長に不信感を抱くでしょう。

そう考えると、このCXO(チーフ〇〇オフィサー)というアメリカで発達した、業務別に責任範囲を明確にした組織運営ができる執行役制度、ただ社長さんがCEOを名乗っているだけでは惜しい。

会社の役員や管理職に、様々なCXOを割り当てて見てはいかがでしょう。

経理のトップにCFO、営業トップにCOO、IT周りやってくれてる幹部にCIO、というぐあいに。

つまり、「機能別社長の分身」を作るんです。

もちろん自分が得意な機能についてはCEOたる社長自身が絶対に兼任されたほうが良いです。

そうやってできた合体ロボみたいな社長の分身は、もはや分身というより、巨大ロボのように「拡張された社長」です。

最初はちょっと慣れないかもしれませんが、もしかしたら中堅大手に成長する中小企業と、永遠に成長しない中小企業を分けるカギになるかもしれませんよ!

☆これを書くにあたって、調べていたらドラッカーも「経営者は自分のコピーをつくりたがる。上手くいって一回り小さなコピーが出来上がるだけ・・・異質性の中から活力が生まれるということを無視してはならない。」と言っていたようです。