ウクライナやパレスチナの紛争に関わる形で、様々な偽動画が発表され、問題になっています。
我が日本の首相「増税メガネくん」こと岸田総理の偽動画も出回っているそうですね。
(メガネをからかうのは いけないと思いまーす byメガネ歴50年)
そういった偽動画やフェイクニュースのお陰で「ファクトチェック(事実検証)」という言葉も市民権を得ました。
☆ファクトチェックの具体的な事例はぜひ「日本ファクトチェックセンター」のサイト(https://factcheckcenter.jp/)を見てみてください。
国際的な話でなくても、ご自身の日々の経営や日常生活の上で、事実の大切さについては、みなさん認識されていることと思います。
入金は先方からの連絡だけではなく、銀行口座に記録された「事実」を確認してはじめて帳簿に記帳されますでしょう?
また、あおり運転などの危険な行為も、いくら本人が「やってない」と言っても、被害者側が車載カメラで記録していたら、警察は「事実」として認定し、逮捕・起訴に至るはずです。
そう、「事実」は何よりも強いものです。
かのトヨタ生産方式でも「現地現物(げんちげんぶつ)」という言葉があり、記録や報告書よりも、生産現場での「事実」確認が重要だとしています。
しかし、私は「事実」にはひとつだけ「やっかいな」欠点があると思っております。
それは「事実」は過去起こった出来事を実証して初めて発生するものであって、いまこの瞬間現在起きている現象や、ましてや未来起こりそうなもののことではない、というところです。
「当たり前のことをなに偉そうに言ってんだ?この経営メガネ!!」って話なんですが、「事実」を加味して自分の行動や、経営上の判断をするときに、こっちの「事実」はわりと見落とされがちではないかと思います。
私のまわりにも、「事実しか信用しない」タイプの経営者の方が結構いらっしゃいます。
実績のある会社としか取引をせず、借金を嫌い、長年やっている同じご商売に脇目も振らずに邁進する。
「事実ベースの経営」、たしかに手堅いといえば間違いなくそうなんですが、ずーっと拝見していると、そういった方の会社って意外と伸びていないばかりでなく、少しずつ実績が落ちているというのもまた「事実」(サワダの感想です)。
経営が「継続性(ずーっと続くこと;ゴーイング・コンサーン)」を目指している以上、サワダは「事実ベースの経営」は成り立ちえないと思います。
いや別に、事実の重要性を否定しているのではありません。
日頃「事実ベースで判断する」ことは大切ですが、経営など、未来のために行う投資的行動を行う際、何らかの方針を決定する際は、「事実のみを判断材料にはできないよね」、ということが言いたいんです。
「事実(過去)は過ぎ去った今であり、今より先の事はまだ事実ではない」以上、まだ確定してないかも知れない「今現在」の分析や、どうなるかわからない「未来」の予測も必要ですよね?って事が言いたいんです。
車の運転に例えれば、バックミラーだけを見て運転できるかといえば、そうではないことは誰にでもおわかりいただけるはず。
たった今の現在(目の前の車の挙動)や、少し先の未来(前の前の車の挙動)を見ながら運転しないと追突したり、場合によっては人をはねてしまうかも知れません。
球技をやる人はわかると思いますが、ボールが今あるところに走って行ってはダメで、ボールが来そうなところを予測して走ることが大切です。
(私は学生時代テニスをしていましたがヒジョーに足が遅く、いつも相手のフォームから予測してボールが来そうなところをめがけて走ってました。)
かの野村ID野球もデータを非常に重視しますが、ランエンドヒットなどのギャンブル要素も大切にしていると「野村ノート」に書いてました。
運転も球技もしない方には、もしかしたらピンとこないかも知れません。
では例えばこんな話はどうでしょう?
あなたはどこかの街のスクランブル交差点で信号が青になるのを待っています。
しばらく待つと歩行者用信号が青になりました。
あなたは斜め前に向かって歩き出します。
すると前方からこちらに向かって歩いてくる男。
このままだと正面からぶつかってしまいますが、ギリギリのところでお互い左右にパッと別れてすれ違う、と同時に今度は自転車に乗った高校生が目の前に!
しかしあなたも高校生も特に慌てることなく、あうんの呼吸で左右に別れて互いをやり過ごす。
これ、お互いがその瞬間瞬間でまだ確定してない未来を予測しあい、行動しているからこそ成り立っているんですよね。
もし全員が事実だけをもとに行動していたら、あなたは男に突き倒され、立ち上がろうとしたところを自転車にひかれ、その後も色んな人やモノとぶつかって、永遠に交差点を渡り切ることはできないでしょう。
まあこれは一種の思考実験ですが、確定した事実だけで物事を判断することの危うさはお分かりいただけたのではないかと思います。
ここまで書いてもなお、私自身も何事においても事実確認を怠らない人間であることを認めなくてはなりません。
現代人は事実に弱く、事実の前にはひれ伏すしかない思考の持ち主です。
だからこそ「事実」をかたった偽動画やフェイクニュースに振り回されるのではないかと、思います。
そしてこの事実確認に時間を要している間に、今があっという間に過去になり、チャンスを取り逃してしまうのかも知れません。
キリストの高弟、十二使徒の一人である聖トマスはたいへん疑い深く、常々「この目で見たものしか信じない」と言っていたそうです。
キリストがユダの裏切りによって捕まり、はりつけになって天に召され、3日後に復活したとき、トマスはキリスト本人に会っても、本人と認めなかったとか。
キリストがはりつけになったときに釘を打ち込まれてできた手のひらの穴に指を入れてみて、初めてキリストに抱きついたトマスに、「見ないで信じる者は幸いである」とたしなめたそうです。
サワダ個人もまあまあ疑り深いので、このトマスさんには大変親近感を覚えるところではあります。
しかし、私たちが経営や事業をする上では、ただ事実にひれ伏すことだけでなく、まだ確定していない今現在や、少し先の未来も加味してバランスよく見て判断することも必要です。
このことは、事実と偽情報を慎重により分けるのと同じくらい大切なこと、とサワダは考えているわけなんです。
☆それ以前に、客観的事実を否定して、自分の願望こそ「事実」と言い募る人もいますね。サワダは「普通こうでしょ」とか「こう考えざるを得ない」という発言が多い人からは、すこしだけ距離を取らせていただくことにしています。