今回は、変なタイトルつけちゃいました。
私、サワダゲンイチロウは、良い友人知人からは「博学ですね〜」と言われ、普通の友人知人からは「雑学が豊富ですね〜」と言われ、悪い友人知人からは「くっだらないことだけはよく知ってますね〜」と言われています。
今回はそのくっだらない(?)知識を使って、神学・民俗学の分野からリーダーシップの本質に迫ってみたいと思います。
普通「神様」というと「全知全能」という枕詞がつくように思われますよね。
しかし古代神話を紐解くと、神々は万能ではなく常に何か欠損を抱えた存在として記述されていることが多いことがわかります。
まず一番わかりやすい外観に欠損を持つ神々としては
・北欧のオーディン(北欧神話の主神)は片目であったと伝えられています。世界樹ユグドラシルの根元にあるミーミルの泉の水を飲むために自らの片目を差し出したとか。
・日本では天目一箇神(あめのまひとつのかみ;鍛治の神様)が同じく片目です。鉄を溶かす火の粉が当たったためとも言われています。また片目をつぶり口を突き出した「ひょっとこ(火男)」のモデルとも言われています。
・ギリシャ神話のへパイトス(鍛治の神様)も片足、もしくは両足が不自由、またアイルランド神話の主神、トゥアハ・デ・ダナーンは戦いの時、片目をつぶり、片足でケンケンしながら踊り、軍を鼓舞したと言われています。
身体ではありませんが持ち物を失った神様もいます。北欧神話の豊穣の神フレイは元々「勝利の剣」という無敵の剣を持ってましたが、一目惚れした女神を手に入れるためにそれを手放してしまい、終末の戦いで角笛で戦わざるを得ず、敵に倒されたことになっています。
性格に難ありというパターンもあって、それこそ「全知全能」と言われたはずのギリシャの主神ゼウスは女性にからきし弱く、数々の女神や妖精、人間の女性と浮名を流したおかげで、夫人(こちらは浮気発見の名人)であるヘラを怒らせ、さまざまトラブルを引き起こします
さらに、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教の共通の唯一神である「ヤハウェ(ゴッド・アッラー)」は全知全能ではあるものの、ただ「存在」するだけで姿かたちはない、という「存在以外全て欠損」。
なぜ、私たち人類の神々はこのように完全体ではなく欠損を持った存在として描かれたのでしょうか?
思うに、私たちが信じるにせよ、そうでないにせよ、神様のことを考えるときに、物語ぬきにそれを考えることができないからだと思います。
「完全無欠・全知全能の神様がおりましたとさ。おしまい。」
ですと、やはり思い浮かべたり信じたりするのはむずかしい。
神々に、何かが欠けていることで、初めて豊かな物語ができるし、優れているところも際立つのではないかと思うのです。
片目だから、一つだけの真実を見ることができる。
片足なのにめちゃめちゃ戦いに強い。
女癖が悪いから、子孫繁栄してその下にいろんな神様や英雄がいる。
姿かたちがないから、預言者・神の子イエスキリスト・聖霊を通してのみ、その言葉が伝えられる。
(現代においては一部配慮すべき表現を含んでいますが、古代人の感性を重視してそのまま放送します。また信仰をお持ちの方には不愉快な表現もあろうと思いますが、邪教の輩の戯言とお見逃しください。)
ひるがえって、西洋では「神の国」を模して作られた、と言われる会社組織はどうでしょう?
株主(オーナー)はその会社を作った神(創造主)であり、社長はそれを兼ねているか、その使い(リーダー)です。
彼らは理想として完全無欠であることを要求されますが、もしそうだと先ほどと同じ話で、「立派なオーナー・社長がいましたとさ。めでたしめでたし。」ということになってしまい、ストーリーが生まれません。
それはそれで、道教などの東洋思想のようで良いのかもしれませんが、いささか魅力に欠け、人が集まってこないと思います。
世界のリーダーをみても、女性だけでなく男性にもモテて浮名を流したたジュリアス・シーザー、ポリオに感染し公開の場以外では車椅子だったフランクリン・ルーズベルト、脊椎の障害やアジソン病で満身創痍だったジョン・F・ケネディ、生涯をうつ病で苦しんだウィストン・チャーチルなどなど。
日本でも、天下統一したのに女癖が悪く奥さんに言い訳ばかりしていたらしい豊臣秀吉、子供の頃に疱瘡にかかり独眼竜となった伊達政宗、足が不自由だったと言われる天才軍師山本勘助、そして病弱だった為、布団にいながら仕事の指揮をとったこともあると言われる経営の神様松下幸之助。
欠点のなさそうな徳川家康も、家臣があげた軍功に対する褒章をケチるので、周りから呆れられていたと言います。
やはり、リーダーは抜きん出た能力を持ちながらも、側近から見たときに一目でわかる欠点や弱さを持っていたほうが、ストーリー性や魅力があり、支え甲斐があるんじゃないかと思えてきます。
事実、彼らは総じて側近に恵まれ、自分の欠けた部分は側近がしっかり補佐していました。
外見上でも内面でも、どうせ欠点は隠せません。
時には欠点や弱さを部下の前にさらけ出すことも、リーダーにとって大切なことだと思いませんか?
☆仏教の開祖、お釈迦様(ブッダ)に欠損は見当たりませんが、逆に歯が40本もあったり、腕や耳たぶが異常に長かったり、指に水掻きがあったりと、こちらは「過剰」という「マイナスの欠損」を持っていると伝えられます。他の仏様も顔が11もあったり、腕が千本もあったりして、かなり過剰ですよね。